前回(第8回)は、量子通信の全体像と日本の技術的な立ち位置を整理しました。今回は、その社会実装の最前線に踏み込みます。量子暗号通信は、研究段階にとどまらず、すでに製品が存在し、実際のネットワークで運用されている分野です。内閣府資料をもとに、東京QKDネットワークや東芝・NECの製品化、想定されるユースケースを読み解きます。製品化が進んでいるということは、研究職以外の人材にも入り口が開いている、ということでもあります。
※本連載は内閣府「量子エコシステム構築に向けた推進方策」(R8.1.30 資料4)を参考情報として読み解くものです。事実部分の出典は同資料に拠ります。
守るべきは「漏れたら一生影響が残る情報」
量子暗号通信が必要とされる理由は、守る対象の性質にあります。資料は、一度漏洩すると重大な影響がある安全保障・外交・個人のゲノム情報などは、長期にわたって守る必要があると指摘しています。こうした情報をネットワークで共有する際に、量子暗号通信の活用が期待されています。
資料は、利用が期待される分野を3つ挙げています。医療分野では、電子カルテやゲノム情報など、漏洩すれば生涯にわたって影響が残る医療情報のやり取り。産業・サービス分野では、金融や製造などにおける重要技術情報や秘密情報。行政・外交・安全保障分野では、政府の機密情報や在外公館の外交情報です。いずれも「いま盗まれて、将来解読される」事態を避けたい情報だという共通点があります。
東京QKDネットワークは、2010年から動き続けている
日本の社会実装を支えてきたのが、情報通信研究機構(NICT)を中心とする東京QKDネットワークです。資料によれば、2010年から運用されており、世界最長クラスの運用実績を持ちます。府中〜小金井〜大手町などを接続し、政府、金融、大学・研究機関、データセンターなどが利用してきました。
研究の実証だけでなく、実際の利用者がいるネットワークが10年以上動いている点は重要です。資料は、このテストベッドを数百km規模へ広域化し、技術課題の実証を通じてユースケースの具体化・拡大を図る方針を示しています。実験室から実社会への距離が、着実に縮まっています。
東芝とNECが、世界トップ級の性能で製品化している
装置の製品化も進んでいます。資料は、我が国企業が鍵生成速度で世界トップレベルの性能を実現し、世界10カ国以上のテストベッドに導入され実証等に活用されていると述べています。具体的には、東芝製が2020年に、NEC製が2024年に事業化されています。
「鍵生成速度」は、量子暗号通信の実用性を左右する指標です。安全に共有できる鍵を速く生成できるほど、実際の通信で使いやすくなります。ここで日本企業が世界トップ級にあり、海外のテストベッドにも採用されているという事実は、日本の量子暗号通信が研究にとどまらず国際的な事業領域になっていることを示しています。
あわせて押さえておきたいのが、国際標準化です。資料の注記によれば、NICTは量子暗号通信技術の研究開発に加え、ITU-Tにおける国際標準化を主導しています。総務省も2030年頃までの社会実装・国際競争力強化を掲げ、テストベッドによる実証を通じて民間企業の装置開発を牽引しています。技術・製品・標準の3つを国内で押さえにいく構図です。
製品化フェーズだからこそ、研究職以外の入り口が広い
ここからは、当社が量子・DeepTech領域の求人を扱う立場からの観察を加えます。量子暗号通信は、量子コンピュータと比べて社会実装が先行している分、求められる人材の幅が広い分野です。
装置開発では光通信や光学、ハードウェアの経験が活きます。テストベッドの広域化や既存通信網との統合という課題からは、通信インフラやネットワーク運用の技術者にも接点が生まれます。国際標準化を主導するという特徴は、標準化やルールメイキングに関わる人材の関与余地を示します。そして、医療・金融・行政といった分野でユースケースを具体化していく局面では、各業界のドメイン知識を持つ事業開発人材が求められます。研究の最先端を担う人だけでなく、製品を社会に実装していく人が要る段階に入っています。
よくある質問(FAQ)
東京QKDネットワークとは何ですか?
NICTを中心に運用される量子暗号通信のテストベッドで、2010年から稼働し世界最長クラスの運用実績を持ちます。府中〜小金井〜大手町などを接続し、政府・金融・大学・データセンターなどが利用してきました。
日本の量子暗号通信装置はどの企業が作っていますか?
東芝製が2020年、NEC製が2024年に事業化されています。いずれも鍵生成速度で世界トップレベルの性能を実現し、世界10カ国以上のテストベッドに導入されています。
量子暗号通信はどんな分野で使われますか?
電子カルテやゲノム情報を扱う医療分野、重要技術情報を扱う産業・サービス分野、機密・外交情報を扱う行政・外交・安全保障分野など、長期にわたって守るべき情報の共有が想定されています。
まとめ
量子暗号通信は、漏洩すれば長期に影響が残る情報を守る技術として期待され、日本では東京QKDネットワークが2010年から運用され、東芝・NECが世界トップ級の性能で製品化しています。NICTが国際標準化を主導し、総務省が2030年頃の社会実装を掲げるなど、技術・製品・標準を国内で押さえる構図が見て取れます。製品化が先行する分、研究職に限らず、開発・運用・標準化・事業開発の人材に入り口が開いています。
次回・第10回からは、量子技術の第3の柱である量子センシングに移ります。これまで測れなかったものを高感度で測る技術が、どこまで実用に近づいているのかを読み解きます。
出典・引用元
内閣府「量子エコシステム構築に向けた推進方策」(量子技術イノベーション会議 R7.5.30/内閣府 科学技術・イノベーション推進事務局 資料4 R8.1.30)
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