イオントラップ方式の量子コンピュータを大規模化する上で、長年の大きなボトルネックとなっていた「配線の爆発的増加」という課題。この難問に対し、大きな突破口となる研究成果が発表されました。
量子ビット制御装置を手掛けるスタートアップキュエル株式会社、大阪大学量子情報・量子生命研究センター(QIQB)、および東京大学の共同研究グループは、時分割多重化(TDM)技術を用いた低温環境での電圧制御システムを開発し、その動作実証に成功したことを明らかにしました。
研究成果は、国際的な学術誌『Applied Physics Letters』に2026年8月31日付で掲載されています。
イオントラップ方式が直面していた「配線ボトルネック」とは?
イオントラップ量子コンピュータは、真空中に捕獲したイオン(原子)を量子ビットとして利用する方式です。優れた量子コヒーレンス時間と高いゲート精度を持つことから、実用的な量子コンピュータの有力候補として世界中で研究開発が進められています。
特に、量子プロセッサ内でイオンを自在に移動させながら計算を行う「QCCD(Quantum Charge-Coupled Device)方式」は、大規模化を実現するための最も有望なアーキテクチャとされています。
しかし、QCCD方式には構造上の大きな課題が存在していました。
- 配線数の爆発的増加: イオンの位置保持や輸送のため、プロセッサ内に多数の電極(トラップ電極)を配置する必要がある。
- 熱進入とスペースの限界: 従来方式では室温側の制御装置から極低温・超高真空の容器内へ電極ごとに個別のアナログ配線を引き込む必要があり、量子ビット数を増やすほど配線や真空フィードスルー(配線通し)が限界を迎えてしまう。
時分割多重化(TDM)で配線と制御回路を大幅削減
今回、研究グループはこの問題を解決するため、通信技術などで広く使われている時分割多重化(Time-Division Multiplexing: TDM)を低温環境に導入する画期的なアプローチを採用しました。
このシステムでは、1つの電圧信号を時間的に切り替えて複数の電極へ順番に振り分けます。スイッチ回路を低温側に配置することで、複数の電極でアナログ配線や電圧生成回路を共有(多重化)することを実現しました。
本研究の主な成果とポイント
- 低速・高速の両制御に対応: イオンの位置や状態を安定維持する「低速な電圧制御」だけでなく、イオン移動(輸送)に必要な「時間変化の速い電圧制御」の双方でTDM適用を実証。
- 低温環境での安定動作: 極低温環境下でもスイッチ回路や制御システムが正常に機能することを確認。
- 制御リソースの劇的な集約: 複雑な電極制御をシンプルに束ねることで、真空容器への配線数を大幅に削減する道筋を拓いた。
大規模量子プロセッサ実現に向けたインパクト
今回の成果は、イオントラップ量子コンピュータの制御システムを飛躍的に簡素化し、将来的な大規模化・商用化を現実のものにする上で極めて重要な足がかりとなります。
キュエル株式会社をはじめとする研究グループは、今後も実用的な誤り耐性型汎用量子コンピュータ(FTQC)の実現に向け、制御基板やアーキテクチャの開発を推進していく見込みです。
論文情報・謝辞
論文タイトル: Cryogenic Time-Division-Multiplexed Voltage Control for Scalable Trapped-Ion Quantum Processors
著者: Ryutaro Ohira, Shinichi Morisaka, Yoshinori Kurimoto, Toshiaki Inada, Ippei Nakamura, Takefumi Miyoshi, and Atsushi Noguchi
掲載誌: Applied Physics Letters
掲載日: 2026年8月31日
DOI: https://doi.org/10.1063/5.0344625
※本研究は、JST共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)およびJSTムーンショット型研究開発事業の支援を受けて実施されました。